零れ落ちる花のように。





 椿 





私の憧れた人は、とても綺麗な人でした。
顔立ちはもちろん、雰囲気と言うか、
彼女の周りを取り巻く空気のようなもの自体が綺麗な人でありました。
それは譬えるなら雪の中に咲いた一輪の椿。
ぴんと張った空気の中で、艶やかに、そして凛と咲き誇る姿によく似た人でした。
彼女が微笑めば、私はとても幸せで、そしてほんの少し気恥ずかしいような思いをしたものです。
その綺麗な笑みはやはり椿のように艶やかで、美しいものでしたから。
彼女の喜びは私の喜びであり、彼女の悲しみは私の悲しみでありました。
私たちは共に育ち、そして共に生きていたので御座います。





けれど昔から、佳人薄命と申します。
どうして美しい人ほど早く逝ってしまうのでしょうか。
彼女もその例に洩れず、17と言う若さでこの世を去ってしまいました。
肺を患っていたのです。
当時は労咳と呼ばれておりました、血を吐き、衰弱して死んで逝くその病は、
今でこそ治療法が見つかり、治る病で御座いますが、当時は不治の病でありました。
布団に黒髪を流して床についていた彼女は、不謹慎と申されるかも知れませんが、とても美しゅう御座いました。
不健康な美、とでも申しましょうか。
彼女はやつれた姿さえ美しかったのです。





病んでからも、時折彼女は布団の上に起き上がって私の相手をしてくれました。
伝染る病ですから、近づくことは許されません。
私は部屋の外の縁から彼女に話しかけました。
彼女はやわらかく笑いながら、私に話しかけたり、ぼんやりと外を見上げたりしていました。
結うことのない黒髪が静かに布団の上に落ち、長い睫がこけた頬に影をつくっていたのをよく覚えております。
彼女はその年の冬に、血を吐いて逝きました。
椿が一輪、美しく咲いた日でありました。
私はその時の事を、今でもはっきりと思い出します。
白い掌、指の間から零れるように血が溢れました。
白と赤と黒。
ぞっとする光景でした。
恐ろしくも美しいその光景に、私は魅入られたように動けませんでした。
彼女が土へと埋められた日、椿の花がぽとりと落ちました。
彼女が逝った日に咲いた椿でありました。





私はその日から、彼女の墓を守っているのです。
彼女のいない世界は、私にとって何の意味も御座いませんでした。
ただ、私は自分で死ぬ事が出来ません。
臆病者と思われることでしょう。
けれど私は死ねないので御座います。
寿命が来るその日まで。
誰かに殺されるその日まで。
ですから私はせめてもの慰めとして、彼女の墓を守っているので御座います。
哀れとお思いですか。
けれど私は幸せだと思えるようになりました。
彼女が逝った時は、目が融けるほどに泣き、気が狂うかとも想ったものですが。
こうして悠久の時を超えて、想うことが出来る人がいるのは、幸せと呼べるものでしょう。





さて、私の昔話はこれでお仕舞いで御座います。
私を本来の名で呼ぶ人はとうに居りません。
私を知るものは皆、恐怖と畏怖を滲ませて、私を「猫又」と呼びますから。
私自身にも、あの頃の面影は殆ど御座いません。
あるとすればこの金色の眼、ぐらいでしょうか。
尻尾もすっかり幾つかに割れてしまいました。
彼女が逝ってからもう数え切れないほどの年月が過ぎました。
そろそろ私も逝く頃で御座いましょう。

それでは、どうぞお元気で。
もう二度と、お会いすることもないでしょう。




















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「吾輩は猫である」形式を目指して挫折。(笑)
猫又の一人語りです。
「私」はわたくし、と読んでいただければ幸いです。
ちなみに結核についての話は相当怪しいのでご注意をば。
しかし、どっかで見たような話になってしまった。

2004/09/06/




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