空を泳ぐ魚のように、海を飛翔する鳥のように、





「 路地裏の猫 」





5月の空は果てしなく高く、青く、遠い。
秋の空も「天高く」と称されるだけあって澄み切っているが、
彼は五月晴れの空も酷く高いと思う。
春の影を残しつつ、夏の匂いを漂わせる空。
春のようにけぶる空ではなく、夏のように空と雲との対比もなく。
空と雲との境界線が、淡くとけるような空。
高く青く遠い、空。





だから彼は、空へと手を伸ばしたりはしない。
届く筈などなく、掴める筈もないことを、彼は知っている。





その存在は、地球を覆う大気の層。
その色彩は、太陽からの光。
掴むことなど、出来はしない。
わかっているのに、どうして皆、そしてこの人も空へと手を伸ばすのだろう。
彼は薄く開けた瞳で考える。
しかし穏やかな日差しは、彼の眠気を静かに誘う。
気温は暑くもなく、寒くもなく。
心地よい風が吹いていて、絶好の昼寝日和だ。
コンクリートの日陰は、今日も彼に優しい。
くあ、と小さな欠伸をして、彼は瞬きをひとつ、した。
そしてその瞬きひとつの合間に、そこにいた人は姿を消した。
屋上の錆付いたフェンスが、微かに揺れている。
それは幻だったのか、先程まで人であったのか、それとも人にあらざるものだったのか。
彼には興味のないことなので、欠伸をまたひとつして、目を閉じた。





彼はそこで、何度も消えていく人を見た。
気が遠くなるほどの数の、消えていく人を見た。
誰も彼に気付かないまま、消えていった。
時折現れては消え、消えてはまた別の人が現れる。
その人たちが「何」なのか、彼に興味はない。
ただひたすらに真摯で静かな視線で、彼らを眺めていただけだ。
あたたかなコンクリートの影で、幸せにまどろみながら。





空は高く、日差しは優しく、風は心地よく。
そして空腹も満たされている今、何を望むことがあるだろう。
不必要で煩わしいことは、考えないに越したことはない。
穏やかなまどろみに身を任せながら、彼は笑う。
彼は何を幸せと呼ぶか、知っている。
どうすれば幸せに生きられるかを、知っている。





天に広がる空など、届く筈も掴める筈もない。
掴みたい「空」は、本当はその伸ばした手の中にある。
ただ、気付かないだけで。
人は既に全てを手の中に得ているのだと。
彼はそう、知っている。





太陽が西の彼方に沈み、空が赤く染まる頃、彼は静かに瞳を開く。
幸せな欠伸をひとつして、彼は立ち上がった。
しなやかな肢体を伸ばして、路地裏へと続く階段を歩き出す。
艶やかな黒い毛皮が、夕日を弾いて煌いた。





彼は例えるなら、空を泳ぐ魚。海を飛翔する鳥。
なにものにも囚われない、自由で幸せな、路地裏の猫。
そして今日も世界は、彼に優しい。




















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猫になりたいなあ、と。

2005.05.19.

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